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ストリーミングなどが主流になりつつあるこの時代、ジャケ買いなんて言葉は音楽業界になくなるのかな。

でも、プラモの世界ではまだまだあるよね。

模型屋さんでこのプラモを見たら買わずにいられませんでしたね。

このシンプルなジャケット。


素晴らしいじゃありませんか!


この箱に入ってるのはカブトムシ以外の何物でもないと主張しつつ、まったく飾る気のないフォントで書かれた商品名『カブトムシ』。


シンプルすぎてこれはもう買うしかない、そして作るしかない。


『カブトムシ』 [フジミ 1800円(税抜)]。作ってみると実に簡単で楽しい模型でした。


ところで発売元のフジミさん、「自由研究シリーズ」であるこのキットの発売時期が実にビミョーだったのよね。

夏休みの自由研究に合わせての発売なんだろうけど8月17日発売(去年のね)って…。


夏休み終わるじゃねーか! 


ついでに申しますと続編である『クワガタムシ』も発売されてまして、こちらは8月30日の予定が遅れて9月3日発売…。


北海道の夏休みは短い。そして、最近はカブトムシも捕まえられるようになったそうだけど、北海道で馴染みがある虫といえばやっぱクワガタだよね。それが間に合わないって寂しかったよね。


始業式までギリギリどころか間に合わないというまさに夏休みの宿題らしいキットの発売。


フジミのそんな強気な姿勢に「宿題やってきたんだけど持ってくるの忘れた」なーんて言い訳を思い出させてもらったよ、まったくもう。 


今年の夏には新作として「オオカマキリ」と「ザリガニ」の発売が控えていて、こりゃ買うしかねーな!と期待しまくってるんだけど、相変わらず夏の終わりに発売なんだろうか。そうだとしたら安定感あるよね。ある意味、楽しみ。


さて、このキットを買って帰ったら、うちの息子も食いつく食いつく。


「えー! こんなプラモあるんだぁ!」とまあ父親と同様に作りたくて仕方がないみたい。カブトムシを巡って親子ゲンカになりそうだったが、大丈夫。

このキット、カブトムシが2体入っているのである。


定価1800円と聞いてそれなりにするなぁと思ったけれど、1体900円ならそれほど高いもんじゃない。話題性を考えたら、むしろ安い部類のプラモだと思うぞ、これは。


組み立てに関しては難易度が低く、プラモに馴染みのない子供でも楽しめるでしょう。


手でパーツをもぎ取れるのでニッパーが要らない仕様だし。


でも、これって触覚のような細かいパーツはもぎ取った拍子に破損したり傷つくこともあるので結局ニッパーを使っちゃうのよねぇ…。

こういう一見すると親切な仕様ってホント余計なお世話だと思う。


一方で設計に関しては二重丸の出来。パーティングラインがちょっと気になるが、パーツとパーツの合わせ目の処理はまったく必要がない。


そのために可動部分が少なくなっているのが残念だけど、これはまあ「プレイバリューよりもリアリティー」という設計思想によるものなのだろうから仕方ない。


ちなみに足の可動部分は人間でいうところの肩のみ。手首や肘は動かない。

しかし、頭をかしげることはできるので、それなりにポーズの自由度は高い…と思う。 

 仮組みが終わった状態。手のひらに乗るちょうどいいサイズ感。キットにスケール表記はないが「1/1(個体差があります)」といったところか。


このキットを僕は制作物の展示会場で暇つぶしに組んでいたんだけど、来場者がこれまた食いつく食いつく。

「へ〜、ありそうでなかったねぇ。買ってみようかなぁ」という声をいただいたし、女性陣からはプラモ好きのオタクというより少年の心を忘れないオッサンという温かい視線をいただいた気がしましたよ。気のせいかもしらんけど。


さて、組むのは簡単だったけど、難しいのは塗装だ。

虫を塗ったことがあるモデラーがいったいどれだけいるのだろうか(笑)。

とりあえず、僕は艦底色を吹いてからシャドウをつける感じで黒を吹いてみた。

足を塗装しているときは、この時点でゴキブリとの差がわからなかったけれども。


だけど、そんな塗装の難しさが上級者も楽しめるこのキットの懐の深さ、凄さだし、なにも実物に似せて塗装する義務なんて誰にもないこともお忘れなく。


プラモなんだからピンク色でも水玉模様でもいいから自由に塗って楽しめばいいのだ。


僕は2体目をコガネムシっぽく塗装して遊んだ。


こんな遊び方ができるのも2体付属しているからであり、カブトムシをわざわざプラモにした意味なんだろうなぁと僕は思う。

そういえばこのキット、 羽根つき(生理用品みたいな表記)なので飛行形態も再現可能。

ダンバインにも流用する人が出そうだけど、その精度はそれほどでもない・・・。

完成して写真を撮ってみたけど、なんか違うよね。こういうのはやっぱり屋外で撮影したい。




でも、周りに人がいないほうがいいな。

僕なんか近所の人に「なにしてんの?あ!カブトムシ!」なーんて言われて、

「あー、これ、カブトムシじゃないんです! いやカブトムシなんだけどプラモなんです!」ってアタフタしてしまって面倒くさかったぞ。諸君も気をつけてくれたまえよ。

我が家にはいろいろと変なプラモがある。

変なものが好き、という僕の趣向を理解してくれている友人が譲ってくれたり、模型屋さんで見つけて一目惚れしたり。

それをいつ作るのかは別問題で、とにかく、とりあえず在庫してしまう。


いやいや、プラモは作るもの。未完成のまま眺めるものじゃない。

と、たまには賢者タイムに入って埃のかぶった箱に挑んでみる。


そんな感じでいつかは作りたいと思っていたコイツを作った。

めずらしく「いつか」が来たもんだ。

“模型界の暴走列車”ことアリイの昭和の歳時記シリーズ・1/32 DIORAMA MODEL KIT『行水』(600円・税抜)。

このシリーズの説明文では


「いつも新しい驚きと、発見があった昭和30〜40年代(中略)そんな思い出の風景をジオラマで再現しました」とあり、


『行水』のキット説明では

「夏の強い日差しのさす午後は、ウラ庭での“行水”はほんとうに気持ちのいいものでした」と実に爽やか

しかし、実際のキットの中身を見てみると、昭和の裏ビデオに出てきそうな美人ではないが陰のある女性が行水していて、「ほんとうに気持ちのいいものでした」が別の意味に思ってしまうし、女性の裸を覗く男まで付属していて「新しい驚きと発見」がこれまた違った意味なんじゃないかと深読みしてしまう。


さすが模型界の暴走列車。凄い。

また、キットの箱には「組み立てカンタンなイージーキット!」なんて書いてあるが、これも期待を裏切らない。


パーツのほとんどが合わず、普通に形にするだけでも中級以上の腕を必要とし、付属するジオラマ素材は木が一本。草だの砂利だのは自分で用意して勝手に作れという親切設計だ。


接着剤不要、塗装不要の色付きプラモが主流の今の時代ではクレームの嵐だろうな。

イージーの幅が実に広い、そんなところも昭和を感じさせるプラモだ。凄い。

しかし、シールは付属する。親切だ。

だがしかし。期待を裏切られることはない。

説明書には「シールは切ってのりや両面テープではります」とある。

つまり、シールという名のただの紙である…。凄い。


説明書もほのぼのとした雰囲気。

しかし、説明書でにこやかに描かれているこの男。役回りは「のぞき」である。凄い。


この小さな鶏、パーツ数が1匹4個。

しかもパーツは見事に合わない。組み立てて立たせるだけでもやっかいだ。


〝組み立てカンタンなイージーキット〟がいったいどこにあるのか、それを探す旅に出たい。本当に凄いなこのキット。


なんだかイロイロ文句ばっかり言ってしまったようだが、キットを組み立てていって物干し竿や子供たち、鶏や電信柱などジオラマの素材が揃ってくるとこれがなかなか楽しい眺め。


ほのぼのとした少年のフィギュアを塗っていると、いたずら心に火が点いてついつい十円ハゲを描いてしまったぞ。


うん、楽しいな、これは。ところで十円ハゲ、実際は見なかったよね。主に見たのは頭に傷を作って“貯金箱”とかバカにされるヤツだよね。

そんなこんなで、どんなこんなだか知らないけれど作ってみれば遊び心くすぐられる昭和の歳時記シリーズ。


もっと作ってみたい。もっと子供フィギュアを塗装してみたいと思った。

しかし、このキットはもともと河合商会というメーカーが作っていたようで、同社は2012年に倒産。


この昭和の歳時記シリーズも含めて河合商会の情景シリーズはアリイに引き継がれていたが、そのアリイも現在はプラモ製造からは撤退し子会社のマイクロエースが旧製品の再生産を続けているのみだそうだ。

プラモは金型さえあれば大量生産でき、キットは生き残る。


しかし、金型を保管している会社がいつまであるかはわからない。急いで集めなければと、『行水』以外のキットを調べてみた。


すると出てくるわ出てくるわ、『縁日』やら『赤ちょうちん』やら『紙芝居』やら気になるキットの数々が。シリーズで16ほどのキットがあるようだ。


しかし、である。しかし、なのである。

このシリーズ、よく見てみるとすべてのキットに子供が3人付属している。


すべてが着物姿の女の子と指差す男の子、そして指をしゃぶる男の子…。


ぜんぶ使い回しじゃねーか!


金型を使い回し、シリーズ内で3人の子供を大量生産した河合商会。売り上げ不振をカバーするための苦肉の策なのか、ただの無精なのか、謎は深まるばかりだが、そんなシリーズ、売られてもユーザーは集めないわなぁ。


倒産も納得せざるを得ない凄いシリーズなのであった。

去年、珍しく予約してまで買ったのよ、これを。


『ハセガワ 1/35 ヤンマー トラクター YT5113A』(3200円・税別)


このトラクターはダイキャストのミニカーを買おうかと思ってたくらい好きなので、昨年11月に発売されると聞いてからは予約せずにはいられなかった。それくらい好き。


なにがそんなに惹かれるのだろうと思ったのだけど、たぶんそれは意外性とデザインそのものの秀逸さ、だと思う。


「トラクターなのにカッコイイ」「こんなかっこいいトラクター、見たことない」

そんな衝撃が虜にさせたのだと思う。

庭師なのにイケメン、しかも筋肉すごい。そんな人いたよね。あんな感じ。僕は筋肉好きじゃないけど。そして男も好きじゃないけど。


さて、このトラクター。奥山清行氏が代表を務めるデザイン事務所がデザインしたというのだから驚き。というか、納得。


奥山氏といえば、「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」ですよ。

エンツォフェラーリっすよ(画像は拾い物)。

好き嫌いが分かれるフェラーリだけど、フェラーリのデザイン史に大きな足跡を残したのは間違いないよね。僕は大好き。見るからに速そう、凄そう。子供も大好きな車だと思う。そういうデザインってすごい。


すごく奇抜なようでいて、実は機能的。空気の流れが目に見えるよう。そんなエンツォのデザインと同じようにヤンマートラクターYT5113Aも、作っていると実にシンプルで機能的だということがわかる。見た目は派手なんだけどね。


作っていてそんな感想を抱くのも、ハセガワが単なる話題性の大きいプラモを作ったというのではなく、誠実にスケールモデルとしてキットを開発したから。


スケールモデル。実物に忠実であることが求められるそのジャンルの仕事をハセガワはしっかりこなしている。


ランナーから切り離したときのゲートかすみたいな小さなパーツに四苦八苦。

老眼に苦しみつつ遠近両用サポートレンズとルーペを駆使して塗り分けに四苦八苦。

こんなところまで作るのか、完成したら見えないじゃん。でも、そうやって実物を忠実に縮尺したことであることを楽しむのがスケールモデルというものらしいよね。正直、僕にはそういう趣味はないので見えないところはさっさと終わらせたい。

小さなパーツ群に苦労してなんとかシャーシが完成。

「うわー、このトラクターかっこいい」って思った小さな子供が組めるようなそんなヤワなプラモでは決してない。子供は迷わずトミカ買え。それが無難だ。

それにしても、小さい。この小ささではさすがにエンジンの再現まではしなかったか。

うん、それがいい。だってカーモデルのアレ、完成したら見えないもん。

ん?そういえば小さすぎるよな。

え?1/35?

そう、僕はこの時点になってようやくこのキットが1/35であることに気がついた・・・。


なんとなく、カーモデルといえば1/24、あるいは1/20。価格的には1/24と思い込んでいたのである。


1/35なんてミリタリー系じゃないの。このトラクターを一体何と並べるというの。

ただでさえ老眼で小さなパーツから逃げたくてイライラしてきたのに、並べられる同スケールの車があまりないことに気づいて怒りに似た感情がフツフツとわきあがるのであった。


なぜだ!なぜなんだハセガワ!


この2月に発売された『ローゼンバウアー パンサー 6×6 空港用化学消防車』もスケールは1/72。。。

小さくてつまんないよね。1/72の飛行機としか並べられないじゃん。あ、あれは空港の消防車だからまあいいのか。


これじゃあ、ハセガワから出てるショベルカーなどの建機シリーズとしか並べられないじゃん。


ほんとに、なぜ1/35とか1/72にしたのだろう。。。


3000円前後の価格帯に納めるにはこうするしかなかったのか。

1/24だったら、もっと迫力が出たし、もっとスケールモデルとしての楽しみも増えただろうに。


3200円。子供向けの価格でもなけりゃ、大人の趣味としては安い。

実に中途半端で残念きわまりない。


5000円を超えるとスケールモデルは途端に売れなくなるのだろうか。

そうだとすればとても悲しいことだ。

ユーザーの出し渋りが商品を中途半端なものにして、業界全体を劣化させていく。


日本のプラモは安い。

今のところはその内容に対して安い。

しかし、今のままではその内容に対して高いということになっちゃうんじゃないかな、なんてことまで考えちゃったよ。考えすぎだといいけど。


さて、ボディの塗装。

フィニッシャーズの赤が好きなので、どの赤にしようかと悩んでいたら説明書の指定ではクレオスのレッドにゴールドを少量混ぜる、とある。


どういうことだろうかと実車の画像を探してみた。

東京モーターショー2015の展示車。(拾い物画像)

たしかにメタリックに輝く赤。これがコンセプトだけなのか実車もそうなのかはわからないけど、これはかっこいいから目指してみようということで塗装開始。


パーツをしっかり下地処理(3000番までかけた)をしてサフは吹かないことに。結構塗り重ねることになるので少しでも塗膜は薄くしたい。


まずはクレオスのウィノーブラック。

続いてクレオス9番ゴールド。0.2口径のエアブラシだと詰まる詰まる。

そしてガイアノーツのクリアレッド。この後デカールを貼って、ラッカーのクリアを4層吹き。

ウレタンを吹こうと思ったらダメになってて使えなかったからだけど、わりとシャープさが必要な形状だったので結果的には良かったかと。


その後は・・・

運転席の細かな塗り分けで眼精疲労を起こしたり、

やらなくてもいいのに気になって、車体前面のオモリ部品に穴開けたり切り欠いたり、

クリアの乾燥を待って、デカールの段差を消すために研ぎだしたり、

窓枠のデカールが難しすぎてこりゃ塗ったほうが正解だったかもーってなったり、

俺には完成は無理だ、トミカで十分だと、いじけて犬の上でブンブン遊んだり、

ニシンを釣ったら、



完成!



細かいところまでがんばって作ったので見てほしい。

いや、あんまり見ると粗がわかるから遠目で見てほしい。

と、そんな複雑な心境にさせてくれるキットでした。


トミカのようなミニカーは秀逸なデザインに触れて確かめることができる。

プラモデルではさらに秀逸なデザインを理解することができる。


見て触れるだけでは分からない楽しみが、プラモデルの「作る」に秘められている。

そんなことを確かめられるハセガワのヤンマートラクターだった。


・・・1/24で作りたかったなぁ(笑)。



先月発売されたウルトラマン、バンダイの「1/12 ULTRAMAN SUIT Ver7.5」。


これの色を塗りなおそうと考えた。


グロスインジェクションという仕上げの赤いパーツと・・・

エクストラフィニッシュという仕上げの銀色のパーツ。


そんな仕上げをもともとされているので、

はっきり言って塗る必要がないくらいかっこいい。


だけど、合わせ目処理なんかをすると塗りなおさなきゃいけない。

そうなると、もともとの塗装はできるなら落としたい。


ということで、実験することにした。


グロスインジェクションとエクストラフィニッシュは落とせるのかを実験したみたのだ。

いきなりパーツそのものを使うとリスクがでかいので、ランナーを使う。

まずはラッカー溶剤にドボン。

いわゆるドボンである。


ラッカーシンナーではまったく動じないエクストラフィニッシュの銀。

赤のグロスインジェクションもまったく動じない。


実験結果。ラッカーシンナーでは落ちない。

ついでに、クレオスのウェザリングカラーの溶剤も試したけどまるで落ちない。頑固。


続いて、ガイアノーツのツールウォッシュ。

あっさりと落ちた!

しかし・・・

プラを侵すのか(?)、理由はわからないけど、べたべたになって使い物にならない。


実験結果。ツールウォッシュは落とせるけど、使い物にならなくなる。


続いて、ウレタンシンナー。

落ちた!

しかし、ツールウォッシュと同様にプラがデロデロに。

グロスインジェクションも落ちたけど、これも使い物にならない。



実験結果。

グロスインジェクション、エクストラフィニッシュには無駄な抵抗はせず、上塗りするのがいいかも。ざらつきが気になる箇所は磨いてから塗装するといいかも。

今月はフジミの「軍艦島」を買う予定だったのですが、、、

店内で見てしまってからどうしても我慢できず買っちゃったよ。


バンダイの「1/12 ULTRAMAN SUIT Ver7.5」。


組み立てるアクションフィギュアというコンセプトなのかな、「Figure-rise Standard」シリーズからの1月下旬に発売されたばかりのキット。


先行して「1/12 ULTRAMAN[B TYPE]」が昨年11月にマンガ『ULTRAMAN』からの第一弾として発売されたんだけど、このときはちょうど財布の中身が寂しくて買えなかった。

ほしかったんだけどね。


価格は4,860円(税込)。


安くはないよね。他のプラモも買っちゃってたし。


実のところ、マンガの『ULTRAMAN』は読んだことがなくて、コミックスの表紙だけ見て「お、かっけーなぁ、このウルトラマン」とは思っていた。


プラモが発売されて、欲しかったけど我慢していたら、今年になってこの「セブン」が発売。

僕の知っているセブンとはずいぶん違うけれど、スペシウム・ソードを持つその姿にノックアウト。

ウルトラマンが剣を持ってるなんてねぇ・・・これがキライな男の子がいるんでしょうか。(反語)


さて、このキット。

箱を開けてみると、妙に素敵なツヤを帯びた赤いランナーが目を引く。


グロスインジェクションという仕上げらしい。

PGアストレイやRGサザビー、あるいは色は黒だけれどダース・ベイダーで用いられた手法だよね。

すごく魅力的な色をしてるし、自分で塗装してこのツヤを出すとなるとかなり大変。


銀色に関してはエクストラフィニッシュという手法が使われているみたい。


パーツの裏を見てみると成型色の白が見えたり、腰の部分とかは塗料が入り込んでない箇所があったり。エアブラシみたいなもので塗料を吹きつけているのかな。


こちらに関しては、塗り直したいなぁと僕は感じました。組んでるときは。


塗装済みキットのような感じなので、ゲート跡が残らないように設計されてるし、アンダーゲートの部分もかなり多い。


それでも合わせ目処理が必要になる部分はいくつか。


頭のてっぺん。


上腕。


手首。


前腕裏側。


上腕裏側も。


膝下裏側。


仮り組みをすることで合わせ目処理をしなくちゃいけない部分が見えてきただけどね・・・

無塗装でも十分にかっけーじゃねーか!


いや、くそかっこいい。


この際、シールを説明書の指示通り貼って、スミ入れだけして見てみよう。


これで十分じゃね?


グレー部分の塗り分けを担当するシールはいまいち見た目が良くないから、ここだけ部分塗装するか、もしくは見なかったことにしてシールを貼らない&部分塗りしないというほうが見た目はいいかも。


スミ入れもしてみたけど、ちょっとやぼったいかもね。1/12だし。

自然にできる影で十分なのではとも感じました。


よく動くキットでプレイバリューも高い。


ガシガシ遊べます。楽しい。

アクションフィギュアってガシガシ動かしてこそ楽しい。


そんなことを考えると、合わせ目処理も本当に必要なのかなって感じちゃうよね。


ガシガシ遊ぶなら塗装剥げが怖くなるし、無塗装で十分にカッコイイし。


はたしてコイツに塗装は必要なのだろうか。


合わせ目を消せば当然、塗装をし直さなきゃいけない。

塗装を自分でしたら「塗装しないほうがよかった」ってことになったら目も当てられないな。。。


そんな恐怖を覚えるほどの出来栄えなのです。パチっと組んだだけで。


消費者としてはすごくいい商品を買えて満足なんだけど、モデラーとしては手を出すことが半分封じられているかのようなキットだよね。なんだかすっごくいいキットのくせに、重苦しい悩みを与えてくれるよね。


さて、僕はどうしようか。


時間があったらイバラの道に進むんじゃないかなぁ?

マゾであることを楽しむ趣味はないけれど、一応ね、モデラーのはしくれみたいな気概はまだ残っているみたいで「自分ならこう作る」みたいな爪痕を残したいよね。

いや、素組みのまま終わりにして次に進むのが大人の余裕というものなのか。

悩ましいわぁ。

前回(第11回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年8月号に掲載されたエッセイの最終回です。



最終回

絶望的状況もなんとかなるようでして

 2018年4月、貯蓄が尽きたストレスか、少し元気になった妻の姿に安心したのか僕は痔瘻で入院してしまった。妻はがん治療中でまとも働けず、それを支えるべき夫は痔で入院してこれまた働けない。入院したときの預金額は3000円。入院費どころか生活費さえ払えない絶望的な家計状況だった。しかし、あまりの痛みに耐えられず診察を受けたら即手術、即入院となったのでお金のやりくりを考えるのは後回しにせざるを得なかった。


 手術翌日、ぼーっとした頭でベッドに横たわりながら、

「入院費、どうしよう…」と考えていたら見舞いに来た妻が、

「保険会社の人に連絡しといたから。必要な書類を持って来てもらうから病院の人に渡しておいてね。保険で入院費くらいはなんとかなるし、それどころか生活費の足しになるよ」と、いつになくテキパキ処理してくれて、完全に立場が逆転したことを自覚した。妻の姿は去年、がん治療のために彼女が入院していた頃、僕がやっていた姿そのままだった。また、いつもは家族と一緒に外出したがらない長男も見舞いには毎日のように来てくれて家でも様子が変わっていたようだ。兄弟のまとめ役は姉に任せて自分はいつも補佐に回っているような長男だったけれど、初めての父親の不在に長男としての自覚が芽生えたのかもしれなかった。


 僕は頭の片隅で自分がしっかりしていなければ家族の生活は立ち行かないと考えていたのかもしれない。しかし、実際は違う。夫であり父である僕がいなくても、その分を妻や子供たちがしっかりとカバーしようと動くものなのだ。そもそも妻ががんになるまで、僕らの生活は妻の給料にかなり依存していた、否、彼女こそが一家の大黒柱だったではないか。痔なんかでは死なないけれど、これならばいつ死んでも大丈夫だなと考えたのが悪かったのか、退院日の帰宅途中に僕は原因不明の高熱を出して再入院。結局2週間近くも入院することになってしまった。妻は驚きつつも笑いながら言った。


「入院日数が多いほど医療保険は下りるから、長く居れてよかったね。我が家って本当、困った時になんとかなるようになってるよね」


 実際、僕の医療保険のおかげで絶望的な家計は好転し、7月頃までの生活費の目処がつくことになった。僕は文字通り身体を張って稼いだわけだが、その代償は小さくなかったようで2週間ほどの寝たきり生活のせいですっかり虚弱になってしまった。7月以降の生活を安定させるためにも転職あるいはセカンドワーク探しを始めなければならなかったが、5月が終わるまで体力は回復しないばかりかウィルス性胃腸炎に感染してしまって今度は妻ではなく僕が寝込んだり点滴してばかりの日々が続くことになった。

「五分五分」と言われて1年

 6月、妻が乳がんの検査で「悪性かどうかは五分五分」と言われてから1年が経った。そして、5月いっぱいで妻はパートを辞めた。今は「今日は急にめまいがしちゃって参った」とか「頭痛がなかなか取れなくて…。薬飲むと眠くなるし…」とか言いながら正社員として毎日働いている。


「子供たちが勉強がんばってるし後悔させたくないから塾に通わせてあげたい。スマホも新しくしたいし、いつか家族でディズニーランドに行きたいし!」と正社員として働き始めた不純な動機を明るく話すが、実際のところは夫である僕の不甲斐なさが原因で、つまりは生活費と彼女の治療継続のためである。彼女の体調を考えると正社員として働くのはまだ早いように思うし、いつまで続けられるかもわからない。でも、「働いてくれ」と僕にお願いさせずに自分で仕事を探して働き始め、子供たちの成長を楽しみに前向きに過ごしている姿を見て、僕は自分の不甲斐なさを差し措いてとても嬉しく思ってしまうのだ。今はとにかく、妻が働き続けられるように僕は全力でサポートしようと考えていて、掃除・洗濯・炊事などの家事は夫である僕と子供たちの仕事ということにしている。


妻が乳がんになるまでは、仕事で疲れて帰ってきた妻に「たまには家事もやってよ。僕も仕事が忙しい時期があるんだから」と喧嘩になることもあったが、今はそれがまるでない。妻も家事をしている僕に気づくと手伝いにくるが、僕はなるべく断ることもなく気が済むようにやってもらいお互いに「ありがとう」とよく言うようになった。


 妻の乳がんがわかったとき、僕は以前「がんという病気は悪い病気じゃない。だって、人生を終える準備ができるから。突然死に比べたら良い病気なんじゃないか」とわかったようなことを言っていた自分が恥ずかしく怒りすらおぼえたが、今はちょっとだけ“がんによって得たもの”を感じている。それは、“『当たり前のこと』なんて無い”というそれこそごく当たり前のことだ。


“普通”、“当然”という物事は実に儚い。そして、それらはとても貴重なものであることを僕ら家族は身に沁みて体感できた。


妻にしてみれば、そんなごく単純なことを乳がんになって苦しんでまで知る必要はなかったと言うかもしれない。しかし、この体験は将来のある子供たちにとって大きな財産になるはずだ。僕はそう信じたい。そういう意味で僕らにとって「がんは悪い病気ではなかった」と今なら言えるんじゃないか。がんを患う当事者の妻がどう思っているかはわからない。でも、夫である僕は彼女の生きている姿を子供たちに伝えたいし、無駄にしたくないと思っているから、どうしても妻の闘病に意味とか意義を考えてしまう。


 妻の乳がんはごく初期に取り除かれ、そのタイプも悪いものではなかった。10年生存率は90%以上の病気だから将来は明るいかもしれないし、運悪く残りの10%になってしまうかもしれない。闘病している間に新たな治療法が確立されて寛解できるかもしれないし、他の病気や事故で死んでしまうかもしれない。あるいは100歳を超えていても元気で乳がんのことを「そんなこともあったねぇ」と笑い話にできる日が来るかもしれない。結局のところ、どこまでいっても“五分五分”だ。


 できることなら遠い未来に笑い話として振り返りたいと願いつつ、まずは今日の“当たり前のこと”に喜びを感じながら僕は妻と、そして僕らの子供たちと暮らしていこうと思っている。生活が不安定なのにずいぶん刹那的で呑気なようだけど、それが間違っているかどうかは子供たちが大人になってから彼らの生き方で答えを出してくれるだろうと思っている。


 妻が乳がんと告知されて、なぜか僕の頭に浮かんだ言葉がある。


『愛してその人を得ることは最上である。

  愛してその人を失うことは、その次によい』


 イギリスの小説家サッカレーの言葉で、これを最初に聞いた時、

「なんのこっちゃ? 失恋の負け惜しみか?」と不思議に思ったから頭に残っていたのかもしれない。でも、今はその言葉をしっかり味わえるようなパートナーでありたいと思っている。そのためにも妻より長生きし、今日一日と妻を大切にして『最上』も『その次によい』ことも両方味わえる人生を全うしたい。そう今は思っている。 


(了)


(『北方ジャーナル2018年8月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

前回(第10回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年7月号に掲載されたエッセイの11回目です。



第11回


最悪の1年を最高のかたちで


 2017年12月、長女の「めい」がガンダムのプラモデルの世界大会で優勝した。小学2年生の頃から挑戦し続け、7回目の大会でようやく手に入れた金色のトロフィー。昨年、初めて日本代表の座を逃していたので、その挫折を糧に悲願を達成したと報道もされたし、模型の仲間たちもそう思っていただろうけど、僕ら親子にとってこの「世界一」はそれ以上の重みがあった。


 めいが今回の作品を制作していたのは、妻の乳がんが発見され、手術のために入院していた時期。僕も含め、家族みんなが動揺していたし、長女であるめいにも生活の中で頼る部分が大きくなっていた。とてもじゃないがプラモデルどころではない、と制作を諦めるよう勧めたが頑として首を縦に振らず、弟たちの面倒をよくみながらも空いた時間を見つけては何かに取り憑かれたように制作に打ち込んでいた。お母さんの病気のせいで挑戦が途切れてはいけないーー。そして、必ず結果を出してみせるーー。そんな断固たる決意が感じられる制作だった。


 僕らの2017年はつらいことが多すぎた。7月に妻の乳がんが見つかり、8月には僕の父が家を飛び出して両親が離婚、9月には僕が慕っていた祖父が亡くなった。僕の母にとっては父と夫を失った1年であり、娘のめいにとっては曾祖父と祖父を失い母までも失う恐怖に怯えた1年だった。


 表彰式でめいは涙をこらえることができなくなっていた。僕には世界一になった喜びだけで泣いているようには見えなかった。今までの僕は娘が日本一になろうが世界2位になろうが、「いやいやお恥ずかしい限りで…」というような顔をしてばかりだったが、このときばかりは人目も憚らず泣いた。


「1年を最高のかたちで締めくくったね。ありがとうな」


 その日の夜、宿泊先のホテルで僕は礼を言った。めいは、


「うん、よかった。本当によかった」


 最悪な1年のまま終わらなくてよかったーー、とわざわざ言うことは僕らに必要なかった。人生山あり谷あり。谷の底には辿り着いたようだ。あとはしばらく上り坂だろう。来年はそんなふうに過ごせそうだ。なんの根拠もないけれど、僕にはそう思えた。


起き上がり始めた妻


 年が明けて1月はめいへの取材対応やお祝い、お礼をして回る日々で忙しく過ぎ、それがひと段落した2月、妻はケーキやパンを焼くようになっていた。妻の唯一といっていい趣味で、それを再開したことが嬉しいのか子供たちが妻がどんなに「失敗作」と言っても「おいしい!」と言って喜んで食べていた。日によって朝から晩まで寝込んでいるときもあったが、なにかをやりたくなって動き出したことに大きな前進を感じ、僕も微笑ましく眺めていた。失敗作には手は出さなかったけれども。


 3月、パンやケーキの材料費もかかるし新しい道具も欲しいからと妻がパートを始めた。最初は1日4時間で週2回。本当にお小遣い程度しか稼げない労働時間だ。でも、僕にはこのわずかな労働でも妻には重いように思えて不安だった。実際、パートの翌日の妻は寝込んでばかりだった。以前、放射線治療の際にソーシャルワーカーと話していて、治療中のがん患者でも働ける職場が増えていることを教えてもらった妻は、


「がん患者のみんなが今までと変わらず働きたいと考えてるわけじゃないよね。わたしは死にそうな人間まで働かせるの? って思っちゃうよ(笑)」とがんを抱えて働くことに対してかなり後ろ向きだった。


 しかし、働き始めた職場の話を聞くとつらいことばかりでもないらしい。わずか4時間の労働時間でも本人にとってはかなりしんどいし、あまりの体力や能力の無さにイラつきもする。しかし、寝てばかりではなく働けることそれ自体にやり甲斐や達成感があるようだった。


 そして、この頃の僕らは妙にツイていた。スーパーに米を買いに行くとちょっと古くなっていたのか半額シールが貼ってあったり、いつ送っていたのかも忘れていた懸賞が当選しててお菓子の『おっとっと』が35m分も届いたり、普段釣れない僕が釣りの大会で大物を釣って優勝しちゃったりーー。実にたいしたことのないツキのようだが、嫌なことばかりが続いていた僕らにとってはこんな些細な幸運も嬉しく、風向きが変わったことを実感せずにはいられなかった。


妻に代わって今度は夫が…


 妻は前向きになり良い出来事は続いていたが喜んでばかりもいられなかった。妻が手術した頃に得た医療保険のお金は底をつき、妻がもう少しパートの回数を増やすか僕が職を変えたりセカンドワークを探さなければ生活が立ち行かなくなっていた。そんな状況に家計を預かる身としてストレスを抱えてしまったのかもしれないし、風向きが変わったことや少し元気になった妻の姿に安心して気を抜いてしまったのかもしれない。原因はよくわからないが、僕は4月に痔瘻になって入院してしまった。


 これには僕自身驚いたが、結婚以来初めての入院に家族もそれなりに動揺したようだ。小学2年の末娘が、

「お父さん、死なないよね?」と真剣に訊いてきて、痔で死んだらたまらないなと笑ってしまったが、妻が入院したときのことがよほどにショックだったのだろうと思うとあまり笑って済ます気持ちにはならなかった。


 妻はがん治療中でまとも働けず、それを支えるべき夫は痔で入院してこれまた働けない。そして貯蓄は尽きたーー。2018年、僕らの生活は上向いてくるだろうと漠然と信じていたが、客観的には春からかなり絶望的な状況のようだった。あくまで客観的には。


(『北方ジャーナル2018年7月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

前回(第9回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年6月号に掲載されたエッセイの10回目です。



第10回

“ひでぇ親”なりの家庭防衛


 2017年9月下旬、妻は北海道大学病院に放射線治療のため入院した。1カ月前に乳房部分切除術という外科手術を受けて、ごく初期の乳がんであることが確定し、腫瘍も取り除かれたが検査では発見できないごくごく小さながんの芽を摘むために行なわれるのが手術後の放射線治療。妻は20回におよぶ放射線照射をおよそ1カ月半で受け、その胸は少し焼けただれたようになっていた。


 前回書いた通り僕は、最初の外科手術のときのように毎日見舞いに通うこともなく、家では子供たちの些細なトラブルにも苛立つようになっていた。溜まった家事を放り出してどんなに寝ても疲れが身体から抜けないような状態だった。しかし幸いなことに(?)僕は鬱病というものを経験してきたし、がんを契機に夫婦が別れる『がん離婚』という言葉も知っていた。これは放っておくとちょっとマズイことになるな、という自覚症状を持つことができていた。


 僕は妻が乳がんとわかるまで毎日のように釣りに行っていたが、彼女の手術以来、パタリとやめてしまっていた。日々の生活に忙しくて時間的に無理だったというのもあるけれど、海へ行って遊ぼうと思う心の余裕がなかったし、僕だけが楽しむことにどこかやましさもあった。このままでは『がん離婚』という結末に向かってしまうという危機感を抱きつつも、実家に子供たちを預けてパーっと遊んでストレス発散するような気分でもなかった僕は考え抜いた挙句、妻が入院する前の“日常”を取り戻そうと思うようになった。つまり釣りを特別な気分転換のようにするのではなく、今までのように生活の一部のような感覚で再開することにしたのだ。まずは近頃はすっかり読まなくなっていた釣り新聞を買い、天気予報や潮汐表も日々チェックすることから始め、コンディションが良さそうな日は早めに家事を片付けて子供たちを寝付かせてから深夜にコソコソと夜釣りに出かけるようになった。


 釣り場に行くと気のおけない釣り仲間が僕に言った。

「あれぇ? 奥さん入院してんじゃないの? 子供たちほっぽり出して釣りかい。ひでぇ親だなぁ!」


 まったくもって彼の言う通り。でも、変に気を遣われるより僕のろくでなさをズケズケと言ってくれることがありがたかった。


「いいの、いいの。こうやってね、釣りに没頭してる間だけでもいろんなこと忘れたいのよ」と答えるのが精一杯だったが、これが僕の本音だった。子供たちを家に置いて夜中に出かけるのは倫理的にも防犯の上でも親として許されることではなかったが、僕にはリフレッシュする方法はこれしか思いつかなかった。僕が心に余裕を持ちなるべく笑顔でいなければ家族そのものが壊れてしまうような気がしていた。


1日を終えられただけで「大成功!」


 10月下旬、妻が退院して自宅療養とホルモン療法の日々が始まった。ホルモン療法は服薬のほかに皮下注射があり、妻は退院とほぼ同時に2回目の注射を打った。最初の注射のときはしばらく腹部に打った注射の痛みが続き、服用する薬の副作用のめまいや頭痛で1週間ほど寝たきりだったが、今回は「少しは慣れてきたみたい」と気丈にふるまっていた。乳がんが見つかった頃より態度が冷たくなっている僕に気を遣っていたのかもしれなかった。


 妻は調子の良い日はテレビを観て過ごし、具合の悪い日は寝室から出てこれず、僕は家事と仕事をこなしながらも毎夜のように釣りに出かけて過ごしていた。妻が帰ってきて子供たちに少しずつ安堵の色が広がっていくのを感じつつ、11月の我が家は家族それぞれが思い思いに過ごしていたように思う。そんなある日の夕飯、小学6年生の長男が深刻な顔をして悩みを打ち明けた。


「中学生になって勉強についていけなくて、将来、思い通りの職業につけなかったらどうしよう。最近、失敗したときのことばっかり考えちゃって何もできなくなっちゃうんだよね…」


 しょうもないことを真剣に悩んでいる姿を見て思わず笑ってしまったが、妄想癖のあるこのちょっと変わった子にとっては一大事のことのようだったので僕なりに真面目に答えた。


「そんな先のこと考えても仕方ないでしょ。将来の夢のために今、いろんなことを我慢して努力することも大事だけどね、もしかしたら明日、事故に遭ったり災害が起きて死んでしまうかもしれない。もし死んじゃったら、遠い将来のためにやってきた努力や我慢はすべて無駄な時間だって考え方もあるよ」


 横で聞いている妻が妙にうなずいていた。がんという病気を経験して遠い将来の約束ができなくなっただけに思うところがあったらしい。


「だからね、まずは今日。とりあえず、今日を無事に終えられたことを喜ばなきゃ。お父さんだってね、スーパーで安い食材を見つけて献立考えて、クタクタになっててもご飯作って、こうやってみんなで食べられたら『今日も1日終えられた! 大成功!』って思ってるの。そうやって1日をなんとか過ごせるようになったら、それからちょっと先のことも考えたらいいじゃん。まあ、お父さんはね、大人だからね、1カ月2カ月先の家計も考えなきゃ本当はダメなんだけど、そんなちょっと先のことを考えるだけでも頭痛くなっちゃうの。大人のお父さんでもこんなんなんだから、子供のお前はまず今日1日だけを考えてみなよ」


 そうやって息子の悩みに答えているうちに、何か自分の悩みというか苦しみの答えが見えてくるような気がしていた。そう、まずは今日1日を大切に過ごそう。がんの治療をしていると5年生存率、10年生存率などというちょっと遠い未来の話ばかりが頭に入ってくるけれど、まずは今、家族で一緒に夕食を囲むことができていることだけでも幸せなことじゃないか。ずいぶん低い目標設定のようだけど、これが僕や妻にとって大切なことだったんじゃないかーー。


 息子のちょっとおかしな悩みのおかげで、僕はその日1日を大過なく終えるだけで満足できるようになっていた。そうやって11月を過ごすうちに僕らの生活は風向きが変わってきていた。


(『北方ジャーナル2018年6月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

前回(第8回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年5月号に掲載されたエッセイの9回目です。


第9回

人生、谷あり谷あり

 2017年7月に乳がんが見つかり、8月に妻は手術のために入院した。4人の子供たちはちょうど夏休み。当たり前のことだが昼食は毎日用意しなければならず、給食がこれほどありがたいものだと思ったことはなかった。


また、この時期には僕の両親の離婚が成立。このことには本当に精神的に追い詰められた。

8月下旬にはガンダムのプラモデルで有名になってしまった長女へのテレビ取材が自宅で行なわれたり、9月上旬には地元小樽市のコスプレイベントへの協力など、仕事や家事以外にもいろいろと忙しいことが重なった。


実のところ、これまでほとんどのテレビ取材は断ってきた。もうすでに何度か受けてきたし、テレビの取材というのはとにかくシンドイからだ。拘束時間が長く、せっかく撮っても9割がた使われないのが普通だし、ときにはボツというのも珍しくないのがテレビ取材。もちろん、取材後の制作会社の人たちによる編集作業のほうが時間がかかり大変なのだろうけど、僕らはいつもノーギャラで依頼されているのでそんな苦労は知ったことじゃない。有名になることで何か利益があるなら取材を受けるけれども、特段無いので基本は断ってきたのだ。


それなのにしかも今、この大変なときに取材を受けたのは、闘病中の妻、そして離婚したばかりの僕の母にとって娘の露出は大きな楽しみとなるから。少しでも良い話題になればと、妻が不在で散らかしっぱなしとなった我が家にテレビクルーを迎えるべく、数日かけて大掃除し、取材当日は8時間ほどの拘束時間に耐えた(放映時間は5分強)。


 少し話が逸れてしまったが8月はそんな感じで慌ただしく過ぎ、月末には妻が退院、9月下旬には放射線治療のために再び入院することになった。その直前、幼い頃から今に至るまで世話になりっぱなしだった母方の祖父が亡くなった。


 妻が乳がんになり、両親は離婚してこのとき僕の中で父は死んだ。そして今度は大好きだった祖父が本当に死んでしまった。人生山あり谷ありとはいうけれど、近頃は谷続きだ。人生の谷の中で、今回の谷はどれだけの深さなんだろう。人生のマリアナ海溝はこれくらいなのだろうか。いや、もっと深いのだろうか。斎場で、骨壷に入りきらない頑丈な祖父の骨を砕き入れながら、僕はそんなことをぼーっと考えていた。自分自身が病気になったり裏切られたりするような不幸だったらまだマシだったのかもしれないな、とも思った。自分が大切にしている人の不幸というものはやりきれず、切ないものだ。僕の4人の子供たちは今のところ特に大きな病気はしていない。今はそれだけが救いでありがたかった。


 10月末まで妻は放射線治療のため北海道大学病院に入院した。しかし、僕は前回の入院と違って毎日のように見舞いには行かなかった。そして、見舞いに行っても妻と話すことを極力避けていた。いわゆる“冷たい夫”にこの頃の僕は変わっていた。


がんになった妻と別れる夫の気持ち


「がん離婚」という言葉がある。パートナーにがんが見つかったことをきっかけに別れてしまうことで、奥さんががんになった場合に多いケースのようだ。日本の夫婦は3組に1組が離婚するという統計もあるようだから、がんが契機になって別れるのも仕方ないかなとも思う。しかし、それにしてもがんになった奥さんを捨てるように別れるってひどい話だなぁと思っていた。そう、「思っていた」のだ。今はがんになった妻との別れを選択する夫の心情が僕にはちょっとだけわかるような気がする。


 妻が乳がんであるとわかったとき、僕はパニックに陥りながらも「夫である自分がしっかり支えなければ」と必死になった。僕自身は医者ではないので病気は治せない。できることといえば、妻が療養に専念できるよう環境を整えることだけだ。つまり、経済的不安をなくすこと、家事、育児ということになる。最初の1、2カ月は火事場の馬鹿力で慣れないこともそれほど苦にはならないし、妻も外科手術を受けていかにも病人らしく弱っていたのでとにかく助けなければという気になっていた。しかし、がんの治療というのは長い。ホルモン剤の影響で、妻もなんとなくぐったりしていたり機嫌の悪い日が続く。家庭の中の空気はまるで長い梅雨のようで、僕の身体にはいつもカビが生えたように慢性疲労がつきまとう。そして、“経済的な不安の解消”という責務。言葉にするには実に簡単だが、それがわずかな期間に努力するだけでなんとかできるなら、僕はとっくに贅沢な暮らしができているはずだ。現実はなかなか思い通りにはいかず、経済的な問題にぶつかるたびに自分の不甲斐なさを直視しなければならなくなる。


「今日も洗濯ができなかった…。学校への教材費の納付も忘れてしまった、子供に悪いことしたな。あ、トイレットペーパーがきれた…」などと、家事というのは日々タスクが溜まっていく。これをすべて徹底的にこなしていくのは実は不可能だし、もし仮にすべての家事を毎日高いクオリティでこなしたとしても誰も評価してくれるものではない。だから、できる範囲で家事は“ほどほどに”こなして、自分を追い込まず笑顔で日々を過ごすのが家事の大切なポイントなのだが、サラリーマン生活の長い男というものはこれがなかなかわからない。僕は生真面目なほうでなかったからそれほど苦しまなかったけれど、真面目な人ほど「ああ、今日もあれができなかった…」と自分を追い込み苦しむことになるだろう。それはまるで育児ノイローゼで悩む若い母親のように。


 そして、人はたぶんもともと孤独なものでそのままでは寂しいから結婚という手段を経てパートナーと一緒になり、肉体的にも一つになるのだろうけど、病に苦しんでいるのはいつも妻だけだし、闘病中の妻に「夫婦生活」を強要することはできない。夫は孤独な自分、経済的にも家事においても妻を助けられない不甲斐ない自分を突きつけられ、いつしか「どうしてこんなに俺を苦しめるんだ!」と、妻の顔を見るたびに思うようになっていく…。


最初はパートナーを支えようと思っていたはずなのに、いつしかそれは憎しみに似た感情に変わるのかもしれない。そして、現実的に考えればむしろ離婚して妻が生活保護を受ければ、夫が妻を支えるよりもしっかりと社会保障で妻の病気は支えられるかもしれない。がん保険に入っていない若い夫婦であるなら、互いの愛情はともかく現実的な選択として離婚を選択しても仕方がないのかもしれない…。奥さんががんになって別れる夫の気持ちはそのようなものではないのかなと、僕は自分の妻が乳がんになってから想像するようになっていた。


(『北方ジャーナル2018年5月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

前回(第7回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年4月号に掲載されたエッセイの8回目です。



第8回

治療は続くよいつまでも

 2017年8月末。「乳房部分切除術」を受けて入院していた妻が退院した。腫瘍を取り除かれた妻は手術翌日からすっきりした顔をしており、それはまさに憑き物が落ちたようでもあった。しかしそれはたぶん鎮静剤の類のおかげで、術後数日してからは苦虫を噛み潰したような顔をよくするようになった。手術の影響で胸に刺すような痛みが時折襲うのだという。


 おっぱいをまるごと切除する「乳房切除術」ではなく、腫瘍もごく小さい1㎝程度だったとはいえ、腫瘍周囲の正常な組織ごと取り除くので、胸に直径5㎝ほどの穴が空いたことになる。思えば“部分切除”といったって、乳房の大部分を切除してわずかに乳房が残った場合であっても“部分切除”である。言葉の印象とは実に怖いものだ。ともかく、胸にぽっかりと穴の空いた妻は手術からおよそ半月弱を「アイタタタタタ」とぼやきながら、腕を上げるリハビリをして過ごすことになる。胸の筋肉組織を削ったので突っ張りが生じてしまい、痛みを堪えながらでもリハビリをしないと腕が上がらなくなってしまうのだ。


 退院までの間に切除した腫瘍の検査も済み、今後の治療方針が病院から説明された。乳がんには比較的おとなしいものから増殖が活発なものまでいくつかの種類があり、再発のリスクや治療方法が変わってくる。薬物療法ではがん細胞が持つタンパク質を調べてその特徴によって5つの「サブタイプ」というものに分類される。そのサブタイプや病気の進行(ステージ)によってホルモン療法しかしなかったり、ホルモン療法と化学療法(抗がん剤)を併用したり、化学療法しかしなかったりと標準的な治療方法がガイドラインで示されている。このサブタイプは腫瘍の発見時と手術の前、術後と時間の経過で稀に変化することがあるので、術後に変化がなかったことを確認してから担当医の説明があった。


 妻のサブタイプは「ルミナルA」。ごく簡単にいうと、増殖力が低くてホルモン療法も効きやすい5つのタイプで最も予後の良さそうなサブタイプだった。担当医であるさっぽろ麻生乳腺甲状腺クリニックの亀田博院長は、万一のことがあるのではっきりと「よかったね」とは言わなかったものの、乳がんの中でも安心していい部類であることがその表情から読み取れた。次いでこれからの治療方針についても説明があった。術後ほどなくして他の医療機関で放射線治療を受けること、そして5年間のホルモン剤の服用などについてだった。


 妻の手術に際して「センチネルリンパ節生検」が行なわれたとき、亀田院長はセンチネルとは斥候(見張り番)のことだよ、と教えてくれた。まずこのセンチネルリンパ節ががん細胞の襲撃を受けるので、ここにがん細胞の襲撃の痕跡つまり転移がなければ他のリンパ節にも転移がないと考えることができるということだった。同じような考え方で、妻の乳がんの発見や治療の流れをテロリストとの戦いに置き換えて考えるとこうなる。


 定期的な取り締まり(がん検診)ではなく、噂話(自己検診)でテロ組織(がん細胞)が活動しているのがわかった。聴き込み(エコー検査やマンモグラフィーなど)や潜入捜査(生検)によるとどうやらまだ組織は立ち上がったばかりらしい(ステージⅠ)。早いうちに悪の芽を摘み取ろうとテロ組織の本部にミサイルを投下(乳房部分切除術)、近隣住民に若干の被害が出たがそれはまあ仕方ない(手術の副作用)。念のため支部になりそうなところも特殊部隊を投入して建物を破壊(センチネルリンパ節生検)。しかし、そこにはテロ組織の痕跡すらなかったから今後しばらくはテロに苦しむことはないだろう。しかし本部を叩いたからといって本当にすべてのテロリストを殲滅できたかどうかは疑わしい。よし、この街全体を空爆しよう(放射線治療)。この空爆は街全体を焼け野原にするほどの威力はないけれど、本部の破壊から逃れたテロリストを仕留めることはできるだろう。でも、やはりまだ不安だ。テロの思想を広めないために少なくとも5年間は情報統制(ホルモン療法)を敷こう。これで完璧な平和が訪れるはずだーー。


 なんともしょうもない例えだが、イメージとしてはわりと間違っていない例えでもあると思う。がん治療とはこんな調子で徹底的に敵を殲滅するように戦略立てて行なわれる治療だ。近隣住民である正常組織の多少の犠牲にかまっていられないし、社会全体が息苦しくなっても国家が崩壊するよりはマシ、つまりは多少具合が悪くても死ぬよりはマシということで結構な期間の我慢を強いられる治療なのである。


 妻は8月末に退院し、放射線治療を受けるのには通院は不便で体力的にもツライので北海道大学病院に9月下旬から10月末まで入院して放射線治療を受けることになった。入院期間中に計20回の放射線の照射を受け、乳房組織内に残っているかもしれない微小ながん細胞を根絶やしにする治療だが、この治療によって妻の胸の片方はまるで日焼けしたようになり、表面の皮膚が一部荒れていた。ごく初期の乳がん患者でさえこの様子なら「がんと闘わない」と治療を受けないがん患者がいるのもうなずける気がした。


 放射線治療が終って退院してからはいよいよ本格的にホルモン療法の開始である。ホルモン療法といっても薬を飲んで数カ月に一度注射を受けるだけなのだが、その“だけ”というのが実にクセモノだ。妻が5年間毎日飲み続けなければならないのは、乳がんのホルモン療法ではごく一般的な治療薬である抗エストロゲン剤。


 これは乳がんの増殖を促すエストロゲンが乳がん細胞に近づかないようにする薬で、再発するリスクが半分近くに減る有効な治療薬だが、その副作用が妻にとってはかなりの負担だ。急なほてりや発汗などいわゆる更年期障害に似た副作用が出るのだが、それがいつでも出てるわけじゃなく昨日はほとんど症状が出なくて調子よかったけれども今日はかなりツライなどと、症状の出方が実に不安定。これじゃあまともに働けないんじゃないかと今でも不安になっている。


 もう一つの治療が卵巣機能を抑制する皮下注射だ。これは最初は1カ月毎で、慣れてくれば3カ月毎、6カ月毎に打てるようになる注射で2年間続けなくてはならない。乳がん細胞の増殖に必要なエストロゲンは閉経前、卵巣で作られるが、その卵巣の機能を抑制してエストロゲンそのものがあまり作られないように打たれるのがこの注射だ。その副作用は頭痛や肩こり、不眠、うつ症状などがある。あとこれは副作用とはいえないが卵巣機能を抑制するので生理が止まる。当然のことながらホルモン療法を受けている間は妊娠することができない。


 乳がんは30〜40代の発症が増えているし、出産の高齢化が進んでいるのでこれは厄介な問題だなぁと思っていたら我が家でもこれは他人事ではなかったようで「弟や妹が作れなくなっちゃった、ごめんね」と末娘に語り泣いて抱き合う母娘の姿が…。どうやら妻は本気で5人目の子が欲しかったらしい。


 いやいやいや、お気持ちはわかりますけど甲斐性なしの僕には4人の子の教育費だけでも絶望的でして、これ以上は本当に責任持てません。いや、その前にこのホルモン療法というのが結構財布に痛いものでして、高額医療制度を利用しても年間10万円以上の出費になるし、僕らが加入しているがん保険も適用されません。妻はもう新たにがん保険に入れませんが、これから保険加入を検討している方は本当によく検討したほうがいいです。がんが見つかったらまずまともに働けません。そして手術以外にも長い期間治療が続いてお金がかかります。僕のように妻の収入にも寄りかかっている旦那さんは特に奥様の保険、見直したほうがいいですよ、ホント。

(『北方ジャーナル2018年4月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

前回(第6回)記事はこちら。

『北方ジャーナル』2018年3月号に掲載されたエッセイの7回目です。


第7回

乳房部分切除術


 2017年8月16日。さっぽろ麻生乳腺甲状腺クリニックで妻の外科手術が行なわれた。手術の名前は「乳房部分切除術」。おっぱいをまるごと切除する「乳房切除術」ではなく、腫瘍のみを取り除く手術だ。手術当日は長女が風邪をひいてしまい、下の兄妹3人だけを連れて付き添うことに。僕らにできることなど具体的には何もないのだが、家族や親しい人間が手術の際に身近にいることは、いざというときに役立つということを僕は経験している。


 長男の出産のときのことだ。朝5時にツルンと産まれて良かった良かったと長女を連れて自宅に帰って眠ろうとした途端、病院から電話が入った。


「産後の出血が止まらず意識が戻りません。奥さんの親御さんにも連絡を取ってすぐに来てください」


 親族を集めるということは危篤状態ということ。慌てた僕は指示通りに義父に連絡を取り病院に向かった。駆けつけたときの妻に意識はなく、心拍数も下がり続けていた。看護師たちがいくら声をかけても応答しないという。


「起きて、ねえ、起きてよ」


 いつもと変わらない感じで寝ている妻を起こすように呼びかけても応じない。僕は意を決して妻に平手打ちをして叫んだ。


「おい! 起きてよ!! 子供たちどうすんの! 一人にしないでよ!」


 そこで初めて妻の目や口が動き、混濁しながらも意識が戻った。そこから心拍数が戻るのにも時間を要しなかった。助産師がホッとしながら僕に言った。


「やはり私たちじゃ意識は戻せなかったんですね。ご主人じゃなきゃ危ないところでした。医学だけでは説明できない人間の不思議なところです」


 しばらく経ってこのときのことを妻は、

「パーッと視界が白くなって気持ちよくなって楽な世界に行こうとしていたら、なんだか呼ばれて戻らないとなぁと思って。そしたら急に苦しい世界になった…」と振り返っていた。良かった。殴ったことはバレていないようである。


 話が逸れてしまったが、ともかく傍にいることの大切さを実感しているので万が一のときのために手術日は長い時間付き添うことにした。


 手術前、妻はリラックスした状態でそのときを待っていた。落ち着きがないのは子供たちのほうである。妻を疲れさせてはいけないと気を遣いながらもソワソワして病室をウロウロしたり妻に甘えたり…。妻が手術室に入ってからは遠慮する必要がなくなったからか、


「大丈夫だよね? お母さん、大丈夫だよね?」

 と、僕に不安をぶつけてきた。


「できものをちょろっと切って取るだけだから大丈夫だよ。なーんも心配いらない」と答えて、手術中は子供らを近くの公園へと連れ出した。


 我が家は子供が4人いるので、父親である僕が子供らと遊ぶことは実はほとんどない。子供同士で遊んでくれるからだ。ただ、この日は珍しく子供らと公園で缶蹴りをして遊んだ。数年ぶりに僕は全力で駆け回った。


 手術後、妻は麻酔でぼーっとしながらも子供らに笑顔を見せていた。しばらくして執刀医の亀田博院長から説明があった。妻の腫瘍の大きさは12㎜。「センチネルリンパ節生検」によってリンパ節への転移がないことがわかり、ステージとしてはⅠ期であることが説明された。


 乳がんのがん細胞が最初に転移するわきの下のリンパ節というものがあり、これを「センチネルリンパ節」というそうだ。センチネルとは斥候、見張り番のこと。まずここががん細胞の襲撃を受けるので、ここに襲撃の後つまりは転移がなければ他のリンパ節にも転移がないと考えることができ、センチネルリンパ節以外のリンパ節を取り除く手術を省略しても再発率に影響がないことがわかっている。妻の場合、わきの下をちょっと切ってリンパ節のひとつだけを切除するだけで済んだということだ。


 一通り説明した後、亀田院長はおもむろにホルマリン漬けの組織が入った小瓶を取り出して話し出した。


「切除した組織を息子さんが見たいということだったので用意したけど…息子さんは?」


 そうだ。長男がどうしてもがん細胞を見たいというので妻からお願いしていたのだった。病室にいる息子を呼び出し、小瓶から取り出した組織を眺めさせる。


「がん細胞といってもその周りの組織ごと取るからなかなか見えないんだけどね。そう、この辺りにあるんだよ」


 ピンセットでこねくり回しながら息子に説明する亀田院長。一言も話さず聞き入り、じっと見つめる息子。写真を撮ったが、掲載するのが憚られるくらいにグロテスクなものだったから息子もショックを受けたのだろうか。このときは何かを考えているようで押し黙っていたので後日に感想を訊いてみた。


「がん細胞って見たことないから見たかったの。転移するっていうから液状だと思ったけど固体だった。見れて良かった。勉強になったよ」


「それだけ?」


「うん、それだけ」


 母を苦しめたがん細胞を確かめたいとか、そういう気持ちは一切なく、ただ単純に興味があったから見たいとせがんだのだという。我が子ながら変わった子だ。


 ただ、息子のおかげで組織を僕も見たことは結果的に良かったと思っている。腫瘍のみを取るという乳房部分切除術といっても、腫瘍から1㎝程度離れた正常な組織も取り除くので最終的には直径約5㎝の球体状の組織がえぐり取られることを、自分の目で見て理解することができたからだ。


 術後、妻は腕がうまく上がらなかったり、疼痛に苦しむことになった。そんなときも「あれだけの組織を取ったのだから仕方ないよな」と妻の気持ちに寄り添いリハビリに協力しようという気になれたのは、好奇心の強い息子のおかげで僕も見ることになったあの小瓶のおかげなのである。


(『北方ジャーナル2018年2月号』掲載)

※無断転載を禁じます。(C)Re Studio 2018年

最近、末娘のみも(8)が「ガンダムおしえて」とうるさい。


ちょっとでも僕の暇を見つけては「今日はガンダムできる?」とうるさい。


ようするに、模型を教えて欲しいと言ってきているのです。


模型なら姉や兄に教えてもらえるだろうけど、姉はおっかないし、兄は何を言っているのか大人でもよくわからない。


だから僕に言ってくるのか、それともただ一緒に父親と遊びたいだけなのか。


時間がないわけじゃないけど、「よーし教えてやるか」とすぐにはならないのが我が家流です。


長女のめいのときもそうでした。

突き放しても突き放しても、全然諦めなかったんで、根負けしたというか見込みがあるかもなと教えました。


突き放しが効いたのか、バネはよく縮んでいたようでよく飛びました。人の話をよく聞いて、人の手元や完成品をよく見ていました。


何事も準備は大事。


いまは弓をぎゅーっと引きしぼる時間だということで、末娘みもの「ガンダムおしえて」には応えません。


お父さんはモンハンをやり続けて無視するのです。

突き放すのです。


それでもまだ「模型がもっとうまくなりたいから近道教えろや!」ってなっていたら、「近道なんてないんだぞ、ばーかばーか」って教えてやろうと思います。


そもそも上手い下手なんて尺度はそぐわない分野なんですけどね。

知ってたらもっと模型が面白くなる。そんな考え方や作品の見方、基礎技術を子供達には伝えたいと思っています。