まさぼん、PTAやめるってよ

昨年、長女が小学校を卒業しました。

長男、次男がまだ学校にいます。

そして今年、次女が小学校に入学しました。


また6年間、PTAとお付き合いしていかなければならないのか…。


「一人一役」というけれど、子供が多いと「三役」でございます。

夫婦で役目を分け合えばいいのですが、そんなことで夫婦で揉めるのはイヤですし、PTAの仕事をいやいややっている姿も子供に見せたくありません。


PTAの活動にはずっと疑問でした。


ボランティアなのに強制されるってどうよ、と。


PTAの目的、理念、活動は肯定します。尊いと思います。


ただ、僕は違う考え方で子供を育てたいという思いもあります。


学校は子供がはじめて親の保護のない場所で自分で考え行動する場所。

子供同士の社会がある場所。そこになるべく僕は介入したくないのです。

どんなことがあっても帰れる場所がある、そう子供が感じられる家庭を作りたい。そこに全力を注ぎたい。だから、学校にはよほどのことが無い限り顔を出したくない。子供自身で解決できるところまで見守りたい。そういう考えです。


そういう考えですから、そもそもPTAには馴染めないところがあります。くどいようですが、その活動は否定しませんけど、僕は一緒にできないのです。そういうことって世の中にはあるでしょ?極論をいえば、同性愛を否定しないけど、僕は同性愛者にはなれない。それと一緒です。


ですので、次女の入学を機にPTAに入会しない旨を、PTA会費徴収の封筒に書いて子供に届けさせました。

そもそも入会した覚えがないので退会届を出す意味もわかりません。


すると教頭先生から電話がありました。


「息子さんが今年度で卒業しますが、卒業証書のカバーはPTAの会費から出ています。息子さんだけカバーがないのは可哀想だと思います。あと、PTAのイベントに子供さんたちだけが参加できないというのも可哀想ではないでしょうか?」


はぁ?


すごく頭にきました。まさぼん、めちゃくちゃ頭にきました。久しぶりに声が震えるくらいに怒りました。


なんでこんなに腹が立つのでしょう、と考えました。


たぶん、子供を人質にとられたような感覚に怒りを覚えたのだと思います。

自分の子供を可哀想な目に合わせるようなことを、僕は親なのにやっている、だと?

そんなふうに言われた気分にもなりました。


この人とは話をしてもラチがあかないな、と思ったので、

「わかりました。お金だけ払います。ただ一切、PTAの活動には参加しません。よろしいですね?」ということで電話を切りました。


すごく相手をバカにした対応です。金だけ払えば気が済むのだろう?と言ったようなものですから。


PTAってそもそもなんなんでしょう。

「日本におけるPTA(ピーティーエー、英語: Parent-Teacher Association)とは、各学校で組織された、保護者と教職員による社会教育関係団体のことである。任意加入の団体であり、結成や加入を義務付ける法的根拠は無く、全ての児童生徒のためのボランティア活動というのが本来のあり方である。」(ウィキペディアより)


その会員は保護者と教員であり、児童たちではありません。

その目的は「保護者と教員が学びあうことで教養を高め、成果を家庭・学校・地域に還元すること。児童生徒の健全な発達に寄与すること。」(ウィキ)ということです。


加入する義務はなく、活動は非加入者も含めた全児童を対象したボランティア活動なんです。


加入していない家の子にだけPTAの決めた活動の対象にならないなんて、本来あってはならないことです。会費も払っていないのに恩恵だけ受けてずるい、という程度の活動ならばやらないほうがマシです。自分の子だけ可愛がっていればいいんです。みんなで学校のために、地域のために、なんてこといわないでほしいです。


でも、現実は「卒業証書のカバーが息子さんだけ無くて可哀想」といわれるのが田舎のPTAです。


情けない。ほんとに情けない。


ということで、これから6年間、僕はまた違った形でPTAとお付き合いすることになりそうです。


本当にくどいですが、PTAの理念と活動は否定しません。

ただ、曲がったことがきらいなのです。それを問題提起してきたいのです。


子供たちが社会に出たら「曲がったこと」、「我慢しなきゃいけないこと」だらけです。

でも、せめて教育の現場ではそれを持ち込みたくないのです。子供にはそんなこと覚えてほしくないと考えています。





モケモケ釣り釣り

晴れの日は釣り人、雨の日はモデラー。仕事はいったいいつするので?

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